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「鉄道界も 昭和 が遠くに」 [趣味]

昭和時代に、旧国鉄が製造した車両がJR各社から相次ぎ、続々と引退している。老朽化し、故障も起こりがちなのが敬遠され、省エネルギーで運行コストも低減できる新型車両に置き換えているためだ。今年の3月時点でJR東日本の国鉄旅客用車両は在来線車両のうち8..7%にとどまり、JR東海は国鉄製は計8両だけ。同社が先陣を切って国鉄製からすべて卒業するのは確実だ。
代表的なのは東日本、東京と伊豆半島を結ぶ特急「踊り子」。185系を21年までに別の車両に交換し、すべて引退させる方針。乗客が多い普通列車としても運用できるように、扉のあるデッキ部分を広くしてあるのが特徴だった。
そのほかに
・東日本・・・気動車キハ40(東北地方)
・西日本・・・201系電車(オレンジ色の車体)大阪中心部環状運転CM(新型電車に置き換え)
・・・・・・・105系電車和歌山線、桜井線(新型電車に置き換え)
・JR九州・・・気動車キハ40、キハ47福岡県香師推線(バッテリ式電車に置き換え)
・・・・・・・気動車キハ66、キハ67長崎県大村線 (バッテリ式電車に置き換え)
名残惜しいですが、味わいある車両の引退ラッシュに鉄道界も「昭和」が遠くになりつつあります。
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「特急しなの」パノラマ車展示終了・解体へ [趣味]

1日土曜日中日新聞朝刊に「さよなら 先代「しなの」パノラマ車展示終了・解体と衝撃的な見出しが載っていた。
リニア鉄道館381系「しなの」パノラマ車が展示終了し、鉄道趣マニアにとっては残念ですが、解体されることになった。そもそもこの車両はカーブが連続する路線での速度向上のため、日本の営業車両で初めて振り子式を採用した直流特急電車です。
この電車の特徴は、車体の軽量化を図るためにアルミ製で、曲線を通過する際に車体を傾けることで遠心力を軽減させるとともに、低重心化と横圧(車輪とレールの間に発生する、横モーメントの圧力)軽減により、曲線通過速度の向上を図っている。
この技術は新幹線700系車両、E353系、名鉄空港特急2000系・・・等、後に登場する新型電車に続々採用されスピードUPに寄与している。
1973年に中央西線の特急しなのとしてデビューし、当初設定された形式はクハ381、モハ380、サロ381. クハは全面貫通式だったが、増備の過程で写真のようなパノラマ車も登場した。
国鉄末期以降は形式変更を伴う改造が多く実施れた。JR東海とJR西日本に継承され、JR西日本車はリニューアル工事も実施された。現在はJR西日本の「やくも」の運用に残るのみとなっている。
「しなの」パノラマ車については、ブログ2015.6.30にも記していますので、改めて掲載しておきます。
このところJR381系特急電車は1973年(名古屋=長野間)に登場以来、JR西日本管内「特急くろしお」「特急やくも」に運用されていますが車齢も高く陳腐化しているため、近くすべて廃車になる予定でファンの間では、話題が盛り上がっている。

1994年になると後継の383系が登場し1996年に定期運用から外れ、長野オリンピック中心に臨時に運用され2008年5月をもって完全に運用が終了した。これによって381系による「特急しなの」時代は幕を閉じた。なかでもクロ381系10番台は、前部の1/3が展望席になって傾斜した前面形状に加え側面窓も拡大、床の高さも150mmかさ上げされていて展望を考慮された形状になっていて人気があった。現在は「リニア鉄道館」に展示されている。

鉄道模型界では、このクロ10番台を含む「特急381系電車」は1996年宮沢模型から「パノラマしなの」として発売されて久しく、品薄状態から模型は市販されてないのに等しい状況が長く続いていた。

その後はTOMIXが10番台を含まない381系が発売された。「特急くろしお」「特急やくも」にパノラマ車が登場すると、追ってパノラマ車が発売されるようになった。

一方で鉄道模型界の雄KATOは、満を時してクロ10番台を含む381系を、ようやくこの6月に発売されさっそく購入した。実車登場(1988年)以来27年後の新発売です。模型ならではの出来事です。

 

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「遮光器土偶モニュメント付駅」 [趣味]

秋田県は奥羽本線の能代駅を起点に、日本海沿いの深浦、鯵ガ沢を経由して青森県の同じく奥羽本線川辺駅に至る五能線といえば超ローカル線の代表選手のような線区ですが、現在は風光明媚から観光列車「リゾートしらかみ」が走り人気観光路線です。
そんな五能線に一風変わった駅がある。青森県西津軽郡木造町の木造(きずくり)駅がそれだ。背後に津軽富士ともいわれる裾野の美しい岩木山を望むの駅の正面には、なんと巨大な遮光器土偶のモニュメントが飾られている。
その頭の部分は、二階駅舎の屋根部分より、突き出しているといった大きさで、駅前広場から見上げると、まるで大魔神がそこにいて今にも踏みけられるのではないかと、いった恐怖感さえある。
ではなぜこんな大胆かつ奇抜な駅舎が誕生したのか?。そのわけはご当地木造町の縄文時代の遺跡「舘岡遺跡」の存在他ならない。この界隈は、縄文時代晩期のものと推定される「亀ケ丘式土器」を大量に出土する。特にここ木造町の「飯岡遺跡」からの出土は数的に他を引き離しているという。
そして、ここから出土した土器の中でも特に有名なのが、昭和32年に国の重要文化財に指定された「遮光器土偶」である。そんな土地柄である木造町を全国にアピールするにはこれしかないだろう。町の玄関である木造駅改築の際、JR東日本あ協議の末、駅舎正面に巨大な遮光器土器のモニュメントを飾ることになった。
縄文人が宇宙人を表現したのではないかという説がありますが、もしそうだとしたら、本当の宇宙人がこの駅舎を見れば、おそらくビックリするだろう。
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「地上で一番低い駅」 [趣味]

標高の低い駅には二通りある。駅が地上にあるものと地下にある駅です。このうち、地下にある駅で一番深いところにあるのは、青函トンネル内にある吉岡海底駅で海抜マイナス149.5m。但し、北海道新幹線工事に伴い目下休止中で定期列車は停止しない。
地上にある一番低い駅は、JR関西線と名鉄尾西線の弥富駅です。ホームには表示板が手ッていて海抜マイナス0.39mと書いてある。つまり海面下にあるということで、立派な堤防のおかげでかろうじて浸水しないようになっている。60年前の伊勢湾台風では、水没した悲惨な歴史が語り継がれているところです。
関西本線は電化こそされているもののローカル色豊かなろせんだ。名古屋駅から五駅目、20分程度の距離なのに、周りは水田が目につくのどかなところ。面白いことに、弥冨駅から名古屋駅までは単線で、桑名方面は複線だ。名古屋から弥富までは各駅で一息つきながら列車交換しつつ、のんびりと進む。
参宮線、紀勢本線は電化されていないので、直通列車はデーゼルカーだ。特に鳥羽行「快速みえ」エンジン全開で轟音を立てて邁進する。関西本線名古屋方面ホームは二番線で、同じホームの反対側が名鉄尾西線の三番線。駅自体はJR東海の管轄で、名鉄は間借りしている形だ。大きくカーブして弥富駅に入ってくる名鉄電車は、しばらく停車してサッサと折り返していく。
昼間30分間隔なので、ホームに電車が止まっている時間は短い。閑散としていて、とても名古屋の近郊というイメージがない。南に歩いて数分のところに近鉄弥富駅があり、この駅のが利便性に勝っているので地元の人は近鉄弥富駅に流れる。JRと名鉄の弥富駅はなおさら鄙びた雰囲気となるワケだ。
日本で一番低い駅をわざわざ訪問するには、あまり都会的では興味が薄れる。そのため人を寄せ付けない閑散としたムードを醸し出しているのではないかと思います。
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「生き止まりではない終着駅」 [趣味]

起終点駅というと線路が行き止まりになっていて、列車は到着後、先ほどやって来た線路を折り返し戻っていくのが普通だ。ところがそうはならない面白い駅がある。国内では唯一無二であろう貴重な起終点駅、それがニューシャトル大宮駅だ。
ニューシャトルは、東北上越新幹線建設に際し、騒音や環境破壊の代償として、地元を納得させる思いやり、ないしは見返りとして作った新交通システムだ。大宮以南の地域は、埼京線が見返りだったが、大宮北部は、当時はそれほど人口が多くないことから、通常の軌道ではなく、小ぶりな交通機関として新交通システムが採用された。もっぱら、新幹線の高架橋に張り付くように大宮から北へ内宿まで伸びている。
ニューシャトル大宮駅は、新幹線の高架橋の両側を走行、つまり東側は大宮行として南下し、西側は内宿行として北に向かうのです。そしてニューシャトル大宮駅は、新幹線の高架橋の下に、直角に交わるように設置されている。したがって、東側を南向きに進んできた列車は大きく右にカーブして大宮駅ホームに横ずけ隣、乗客を降ろす。
次にそのまま新たな乗客を乗せると、今きた線路を戻らないで、そのまま前進する。そして、大きく右にカーブして北に進み、今度は新幹線高架橋の西側を走るというわけです。
こうしてエンドレスのような線路は、車両字体小さく、小回りが利くからである。両端の起終点駅がエンドレスであれば、車両は前進あるのみで、バックはしないから、運転台はバスのように片側だけにしかない。
ただニューシャトルの場合はもう一つの起終点である内宿駅は、普通の行き止まり式になっている。運転台は、列車の前後にあり、内宿から大宮まで一往復すると編成の向きが逆になり、二往復すると向きがもとに戻ることになる。
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特急「さくら」2 [趣味]

8日は入学式や始業式がありいよいよ希望に満ちた新学期が始まり、通学に使う定期券購入のためか定期券売り場は学生さんたちの長い行列ができていた。
話題は変わりますが昨日に引き続いて特急「さくら」2です。
●新進の14系客車を投入。個室寝台車”カルテット”で注目
1972年(昭和47年)3月15日「みずほ」「あさかぜ2号」とともに、新しいブルートレイン客車の14系寝台車(14系14型)を使用する最初の寝台特急になった。B寝台の寝台幅は50cmか70cmに拡大し居住性が改善した。14系客車では20系客車のように編成全体にサービス電源車を連結せず、小さな発電ユニットを緩急車に搭載する分散電源方式を採用するため、2方向の編成を分割・併合する「さくら」では、その効果をフルに発揮した。
1983年(昭和58年)12月からはB寝台が3段から2段になり居住性を改善。翌84年7月から4人用個室B寝台カルテットも連結された。これは寝台特急の活性化のために用意されたB寝台初の個室寝台車で同じ編成を使用する「みずほ」にも充当された。さらに1985年(昭和60年)3月からは牽引機がEF66型に変更されて注目が高まった。
その後も活躍を続けた「さくら」だが、1993年(平成5年)3月に食堂車の営業を休止、1999年(平成11年)12月には佐世保発着が廃止され、残された長崎発着は東京~鳥栖間が「はやぶさ」(東京~熊本間)と併結運転になった。また1997年(平成9年)にはカルテットの連結を終了するとともに、14系から改良型の14系15型い置換えられた。こうして2005年(平成17年)3月「さくら」は全区間廃止になり、その輝かしい歴史に幕を閉じ、2011年(平成23年)3月12日九州新幹線に引継がれた。
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特急「さくら」 [趣味]

この土曜日、日曜日はお花見日和に恵まれ、各地の桜の名勝はお花見客でにぎわった。一方鉄道界にも「桜」に由来する特急列車があった。その特急「さくら」について記してみます。
●特急「櫻」黎明期
特急「櫻」のルーツは、1923年(大正12年)7月に3等特別急行列車(3等車のみで編成された第3・4列車)が格上げされた急行に遡る。当時、特急はこの列車と1・2等特別急行列車(1・2等車で編成された第1・2列車)の2往復しかなかった。
昭和に入り、旅客誘致のため、これらの特別急行列車の列車名が公募された。その結果、日本初の列車名として1929年(昭和4)9月15日に1・2等特別急行列車が「富士」、3等特別急行列車が「櫻」と命名され、11月7日からテールマークも掲げられた。
翌年には「櫻」用の客車が鋼製3等車い置き換えられ、1931年(昭和6年)6月から3等寝台車が連結された。当初連結区間は京都~下関だったが、寝台車の人気は高く,1934年(昭和9年)3月からは全区間の連結になった。同年12月には2等車と2等寝台車の連結の始まる一方、3等車が前向き固定座席車から向かい合わせの普通座席(スハ32型)に変更された。それまでは東京と下関で行われていた客車の方向転換作業が解消された。(東京は品川~大崎~蛇窪信号所間のデルタ線を使用。下関は転車台で1両ずつ方向転換⇒こんな光景は現在大宮と京都の鉄道博物館しか見られない)
1942年(昭和17年)11月に関門トンネルが開通し、区間は東京~鹿児島間に延長されたものの、戦況の悪化によって急行に格下げされて「櫻」の列車名を廃止。無名の急行となった。
●東京~大阪間の臨時列車として2代目の「さくら」登場
戦後の1949年(昭和24年)9月15日東京~大阪間に「へいわ」の列車名で特急が走り始め、のちに「つばめ」「はと」の2本体制となった。これを補完する東京~大阪間の臨時特急として。1951年(昭和26年)4月1日に2代目「さくら」が登場し多客期に運転された。
客車は当初、3等車のオハ35系を中心とした編成で、食堂車はあったが2等車はなかった。後のスハ43系に代わり、2等車も連結。1957年(昭和32年)7月から特急「かもめ」用の特急用のスハ44系を転用し、特急編成が整った。
●東京から佐世保まで結ぶ長距離寝台特として活躍
1957年(昭和32年)10月1日、東京~長崎間に一般客車の寝台特急「さちかぜ」が登場した。しかし、同じく寝台特急「あさかぜ」と名前が混同しやすすいため、1958年(昭和33年)10月に「平和」と改称された。さらによく59年7月20日、客車がブルートレインと呼ばれる20系寝台客車に置き換えられたのを機に、列車名も「さくら」(東京~長崎間、附属編成は東京~博多間)に変更された。
その後1961年(昭和36年)客車特急の「つばめ」「はと」が電車化され、栄誉ある列車番号の「1列車・2列車」(全国数ある列車の中で最初の番号)が「さくら」に割り当てられた。
1965年(昭和40年)10月からは、博多止まりの車両を使って佐世保まで延長され、九州側は長崎と佐世保が発着駅となった。
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「特急とき」 [趣味]

JR東日本は3月16日(土)ダイヤ改正に合わせて上越新幹線「とき」・「たにがわ」に北陸新幹線と同型のE7系が上越新幹線に使用されるようになった。
編成側面には「とき」のコーポレートカラー淡いピンクのラインが掲出され、E7系の特色であるゴールド+ブルーと今回の淡いピンクが入り三段染めに纏っている。
ここで特急「とき」のプロフィ-ルを纏めてみます。
①1962年(S37)6月10日、信越本線長岡~新潟間が完成し、これに合わせて上野⇒新潟間上越線初の電車特急が登場した。この特急用に製造されたのが161系で、東海道・山陽系統以外では初の電車特急になった。
②列車名のトキ(朱鷺)は1952年(S27)年に希少動物として特別天然記念物に指定された鳥の名称で、列車が設定された1962年(S37)当時、佐渡島などで生息していたこと、新潟県が保護活動に力を入れ、県鳥としていたことから、新潟と東京を結ぶ特急列車名に採用された。
③上越線は急勾配区間が続くうえ、冬期は豪雪地帯になるため、161系は耐寒耐雪構造とされた。1964年(S39)10月1日の東海道新幹線開業で151系が余剰となり、耐寒耐雪構造化などの改造が施工され181系となり「とき」に転用れた。さらに新製もされて編成数が増え増発も可能となった。
④1974年(S49)12月28日からは、後継に183系1000番台が投入され、最終的には14往復中11往復が183系1000番台に置き換えられた。
⑤1982年(S57)11月14日、上越新幹線の開業を翌日に控え、最後の在来線特急「とき」を運行。直流ボンネット型特急電車の最後になった。
⑥1982年(S57)11月15日上越新幹線が大宮⇒新潟で開業し速達タイプが「あさひ」、各駅停車タイプが「とき」と命名された。車両は東北・上越新幹線用に開発された200系で、耐寒耐雪構造が強化されたのが最大の特徴。
⑦1994年(H6)オール2階建て12両編成のE1系Max、98年にE2系、2001年オール2階建て8両編成のE4系Maxが投入され、需要に応じて輸送力の向上とスピードUPされた。
⑧1997年(H9)10月1日に上越新幹線の列車名が再編され、越後湯沢⇒新潟間を走行区間に持つ列車は停車駅に関係なく一律に「あさひ」「Maxあさひ」とされ「とき」の愛称が廃止された。ところが同日に開業した北陸(長野)新幹線の「あさま」と間違いやすいからの理由から、2002年(H14)12月1日から「とき」「Maxとき」に変更され列車名が復活した。
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「石勝線夕張支線」 [趣味]

元号が変わる今年、平成最後となる廃線が実施される。北海道の新夕張駅と夕張駅を結ぶ石勝線夕張支線(16.1㎞)がそれ。3月31日の営業を最後に127年の歴史に幕を閉じる。
原因は言うに及ばず大幅な赤字。上下5本の鉄道利用者は1日80人程度(2016年度)そのため、収入1000万円に対して1億7600万円のコストがかかっていたという。差し引き1憶6600万円の赤字だが、今後も改善する見込みは乏しい。
なにしろ沿線の夕張市は炭鉱の閉山や合理化に伴って大勢の人達が流出し、07年には財政が破綻したことは大きなニュースになった。ピーク時には11万人を超えていた人口も2018年3月現在8000人程度まで減少。JR北海道の経営難もあり「廃線やむなし」の状況だ。
そんな路線は、今雪深い中、営業終了を惜しむ鉄道ファンでにぎわっているという。1両編成のワンマン列車は、路線バスと同じく、後ろより出入り口から乗車し整理券を取って、前よりの出口で料金を払って降りる仕組み。
車内には、首から一眼レフのカメラをぶら下げたそれっぽい写真鉄が目立つという。走行中は車窓から風景を撮影し、停車すれば駅舎を写真に収める。途中下車して付近を散策する人も少なくない。
北海道では、札沼線の北海道医大⇒新十津川は2020年5月もって廃線になる。日高線、根室線、留萌線の一部区間も対象になる見込みです。すべての廃線が実施されると、全路線2552㎞の1割強(311.5㎞)消える見込み。沿線には北海道らしい観光スポットがいっぱい点在しているので、もったいないというのか残念で仕方がないですネ。
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「50年3月上野特急」1 [趣味]

1月17日のブログは、「ヨン・サン・トウ」というテーマで投稿しましたが、今日はその7年後の「ゴー・マル・サン」いわゆる昭和50年3月。
それは、東京北の玄関口、上野駅に出入りする東北・上越特急が最も輝いていた時期だった。
東北・上越新幹線の開業を数年後に控え、東北・上越線方面の在来線は輸送需要はまさにピークを迎えようとしている背景の中で、東海道・山陽新幹線がは片開業し、これを伴って山陽地区で余剰になった、特急車両が続々と東北地区に転配され、国鉄在来線唯一特急過密地帯を形成させた。
●車両で見れば、157・181・183系の直流電車。485・489・583系の交直流電車
●気動車ではキハ181系
●客車では181系が活躍
●客車では20系  と上野駅に出入りする特急は当時最先端の特急車両が出揃っていた。
ダイヤで見れば、昼間は東北本線系統特急。高崎・上越・信越本線系統がネットダイヤを形成し、それに常磐線系統特急が加わった。何しろ、上野⇒大宮間は東北・上越系統の特急が線路を共用するわけだからそれこそ尋常ではなかった。
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